ところで「ファン想い」って何だろうか

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最近はSNSでの活動者が増えてきた。

 

 

ファンの人たちからはこんな声が聞こえてくる

 

「このグループってファン想いだよね」

 

調べてみるとSNSで反応が返ってきたり、ファンへの対応が細かいような人たちだ。

 

 

一見すると、距離が近くてファンはそりゃあ嬉しく思うことをやっている。

 

 

でも、なんだか違和感を感じて。

 

このモヤモヤを一言で表すと

 

それは規模が大きくなっても続けられるのだろうか。

または、全員にまんべんなく振る舞えるのだろうか。

 

 

人気のない頃にいろいろしてもらっていたファンからしたら、好きな対象の人気が出て距離が遠くなった時に同じ対応をしてもらうことができなくなる。

 

 

そんなときにそのファンはこう思うはず。

 

「昔はやってくれていたのに、変わってしまった」と。

 

 

果たしてこれは長い目でみてファン想いなのだろうか。

 

 

ファンが100人くらいのときはなんとかなるだろう。

 

 

ただそれが、1万人、10万人、100万人...

と増えていったときに、必ず限界をむかえる。

 

だったら最初から距離感は大事にした方がいいんじゃないかと思う。

 

 

最初からここまではします・これはしませんというのをファンも演者も分かっていたら、期待しすぎたり求めすぎたりすることもなくなる。

 

 

表面だけみたら距離が近い方が大事にしているように見えるんだけれど、最初から人気があってもなくても同じことをやっている方がよっぽどファン想いのように思える。

 

 

たとえば、全員にはできないけれどランダムでやることが前提な活動だったらまだいいかもしれない。

 

 

 

 

じゃあ結局、ファン想いってなんなんだろう。

 

 

これは演者側の都合なのかもしれないけれど

「対1ではない」ということ。

 

 

ファンにとっては好きな対象は対1だけれど、ここの相違点が「変わってしまった」を引き起こすと思っている。

 

そして演者側は仕事、ファンは趣味という大きな違いが歪みの原因にもなっているのかなって。

 

 

演者側は”趣味じゃない”から、規模が大きくなれば動き方が変わってくるのは仕方のないこと。

 

ただその変化は、ファンにとっての「趣味要素」が失われてしまうのであれば、最初からできないものはできない方がいい。

 

 

「前はずっと話せて近い距離で応援できた」

これが応援する、好きな理由だったとしたら規模が大きくなったら理由が消える。

 

そうなったら「変わってしまった」と思うのは至極自然なこと。

 

 

 

だから、本当のファン想いというのは「ずっと応援し続けられる」だと思う。

 

 

 

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「好き」という感情は、それだけを切り取ったら「求めること」だけ。

 

綺麗な感情ではあるのだけれど、それが必ずしも相手のためになるとは限らない。

 

 

たとえばクラスに好きな人がいるとき、断られ続けているのに告白を続けるのは迷惑ななんじゃないかとも思う。

 

好きという気持ちはあくまで一方通行のものだから、そこには多少の愛情が必要なわけで、求めすぎないことは絶対に必要になってくる。

 

 

演者はファンのものではないし、ファンは演者のものじゃない。

 

お互いが誰のものでもない存在で、対1じゃないからお互いが求めあったらやっぱりどこかに天井がある。

 

 

つまり、演者がファン1人を大事にすることが別のファン1人に損させる可能性がある。

 

インターネット上で行う活動はお金をもらうのではなく時間をもらうものなので、1秒の価値は変わらない。

 

だからここは平等であるべきなのかなと。

 

 

ダイレクトでファンからお金をもらうのものであれば金額に応じての見返りは多少あった方が応援しがいがあるけれど、時間をもらうものであればまた違ってくる。

 

 

 

「ファンが大事なのでみんなとのふれあいを大切にしています」

 

10万人とまんべんなく触れ合えるのだろうか。

それができないのであればこの言葉は筋が通らなくなる。

 

 

リアルイベントでサインを求められたら全員にはできないけれどできる限りする?

街中で出会って握手を求められたらする?

 

 

 

こういう難しいラインがある。

どこまでがファン想いの線引きかはわからない。

 

 

でも、普段の活動に関しては

「ここまではできます、これはできません」

と演者側がなんとなく示してあげるのが1番集合体としてのファンにとってはためになると思っている。

 

 

今はできるけれど、この先続けられるかはわからない。

できなくなった時に失望させてしまうのであれば、最初からない方がいい。

 

 

これが僕が思う1番いい距離感であって、その上でお互いが楽しめたらベストだな。

 

 

もちろん、互いが感謝を持った上で。

 

 

「応援してやっているんだからこういうことしろよ」スタンスのファンがいれば

「頼んでないです」となるし

 

逆に演者側が楽しませずに「ファンだったらこれをやってくれ」スタンスだったら「は?なにそれ」となる。

 

 

 

違いが自分の選択で活動したり応援するという自己選択が前提の気持ち、そしてある意味どちらも上じゃない対等の関係を築きあげていくのが理想の「伸び方」なのだろう。

 

 

 

やっぱり少し冷たい考え方なのかなというのが頭を過ぎるけれど、もたらす結果を考えたら近すぎない方がいいと思える。

 

 

僕にとっての今の活動のファンというのは

「僕が好きでやっている活動を応援してくれる感謝すべき存在」で

 

ファンの人に

「こいつがやっていることは自分にとっては時間を使ってもいいかな」

と思ってもらえるように務めることだけ。

 

価値提供をしているという思いそのものが奢りになってしまうので、あえて自分の好きでやっているというところにとどめたい。

 

 

あなたのためにやっているんですよとお互いが思うのはとってもいいこと。

でも、それだと「いや、求めているものが違った」となるタイミングがくる。

 

 

だから、お互いが”自分のために”活動したり見たりするのがどっちも幸せになれる。

 

 

小難しく言ってみると「自己中心的利他の相互作用」かな。

 

これを再現するのは実はすごい難しい距離感だと思うんだけれど、やっぱりこれがお互いにとっていいよね。

 

 

 

僕ら演者側はやっぱり数を狙わなきゃいけない側面があるけれど、大きい数は1の積み重ねだから、1を置き去りにすると破滅に向かってしまう。

 

数を追いかけることには変わりないから、1万、10万を目指さず1を集める意識でやっていきたいですね。

 

 

普段から会える演者、画面の中でしか会えない演者、そもそも姿をみることが難しい演者、いろいろあるけれど、それぞれに適した距離感を演者もファンも長い目で見てわきまえていきたいですね。

 

 

また明日。