異文化に触れることは、価値観をインストールすることだ

 

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知らない文化に触れることが大好きな黒川でございます。

 

文化といっても地方にある伝統芸能とかだけではなくて、その土地の慣習や常識も含めたことを指します。

 

なぜ僕が異文化に触れることが好きなのか。

 

そこには「価値観の拡大」があるからなのです。

 

 

異文化=自分には当てはまらない当たり前


 

 ところで、文化とは具体的になんのことを言っているのでしょうか。

 

 

田舎町では「ご近所との交流が親密すぎてプライベートがだだ漏れだ」


高知県では「たっすいがは、いかん(≒酒が薄い飲み物はダメだ)」

 

はたまたどっかの大学のサークルでは「学生生活を捧げるのが当たり前」

 

 

 

これらがすべて文化なのです。

 

つまり文化とは「そこにある特有の当たり前」のこと。

 

 

外側にいる人間からみたら「そんなことないでしょ」 とか「意味が分からない」と一蹴されてしまうようなことが、当人たちには肝心なモットーだったりするのです。

 

 

そして「知っている」「わかっている」「経験したことがある」は全然違うということも言っておきたい。

 

知っている・わかっているのは、知識として頭に入っているだけで、直接文化には触れていません。

 

五感で触れて自分の中にはない”当たり前”を受け入れてみる。

 

この「異文化体験」のようなものがたまらなく好きなんです。

 

 

異文化体験は価値観トレーニングだ


 

 文化に触れる=知らない当たり前に触れる

 

実はそう簡単なことでもないのです。

 

 

自分が大事にしていることが、ある文化ではどうでもいいことだったりするかもしれないし、無意識に自分の常識と比較してしまって下に見てしまう。

 

自分を正当化したくなる性がある僕らは、それを「自分には合わないもの」として消化してしまうことがほとんどなのです。だから難しい。

 

 

そうなると自分の人生が窮屈になると思った僕は、受け入れる力を育む訓練として色々なところに飛び込むようになりました。

 

 

「知らない価値観を当たり前として受け入れ、ものにする」

 

これが、価値観トレーニングです。

 

 

最初は正直趣味の一環でした。

 

知らない世界を「おもしれぇ」と思って何も考えずに飛び込んでいた。

 

そうしているうちに、どんどん「受け入れたくない考え方」がなくなっていく。

 

 

まるで子供の頃に耳が痛くなるほど言われた「相手の立場になって考えて」が本当の意味で自分の体の中に染みわたっていくように。

 

できるだけ多くの人の立場になることができれば、それだけたくさんの視点が手に入る。

 

 

相手の立場になって考えるというのは、実はもはや超能力みたいなもので、相手の文化を自分にインストールすることと同じだ。

 

これをできる人はとても少ないんじゃないでしょうか。

 

 

インストールできる感覚を少しづつ掴んできたときに思ったのです。

 

「あ、もっといろんな場所に飛び込んでいけばたくさんの価値観を手に入れられる。」

 

 

たくさんの価値観を手に入れることは、”一つの文化に定住しない”ことがマストだ。

 

 

テレビやネットから知識として頭に入れるのではなく、自分が経験する。

これを繰り返せば異文化の人間から話を聞いたとき

 

「へえ〜」と流していたものが心の底からの共感に変わる。

 

これが僕にとっての人生の豊さでもありました。

 

 

だから、いろいろな所に入ったり抜けたりした。

 

「あなたって続かないよね」とよく人から言われたものです。

 

異論はまったくないけれど、継続よりもたくさんの世界を知って価値観を広げ続けること。

 

これこそが僕が持っている文化だと思う。

 

 

 

そんな価値観トレーニングを繰り返して手に入れたもの

 

それは「こだわりのない自分」でした。

 

「こだわりがない」は、「なんでもボーッとしていてどうでもいい」ではなくて

 

「嫌いなもののこだわりが無くて何にでも適応できる」自分。

 

 

受け入れがたいものを見たとき、もっというと嫌なものを見たとき

あ、これもひとつの文化なのかと見方を変えられる。

 

 

この状態があると誰にも攻撃しない人間になれる?それだけじゃないのです。

 

 

何よりも自分が楽になれる。

 

食べ物に好き嫌いがない人は外食の店を選ぶときに食材で悩まない。

一緒に行く友達も気を遣わなくて済みますよね。

 

これが人間関係全般に広がっていく感じ。めっちゃくちゃ楽な毎日になるのです。

 

 

嫌いなものをなくしてこだわりのない人になる価値観トレーニング。

 

それこそが僕にとっての異文化体験の醍醐味なのです。

 

 

友達のアイドルのライブで感じた文化


 

僕にとっての「アイドル」は、小さい頃テレビに映っていたジャニーズや大人数の女性アイドル。

 

「手が届かない雲の上の存在」こそが自分にとってのアイドルだった。

 

でも、近年のアイドルはちょっと違います。

 

チェキが撮れたり、お金を払えば長い時間話せたりする。

 

 

距離が近すぎて僕にとっての「アイドル」とはかけ離れていて、ちょっと安売りしてしまっているのではないか、と心の奥底に引っかかっていた。

 

 

 

先日、アイドルデビューした友人のライブに行ってきた。

 

距離が近いアイドルのライブに行くのは初めてだった。

 

 

色々なグループが出る対バン形式のライブだったが、どのグループもパフォーマンスのレベルに素人ぽさは無く、無知ながらに感銘を受けました。

 

 

そしてライブ後の物販といういわゆるチェキ撮影の時間。

 

 

友人なのにチェキを撮るのが妙に小っ恥ずかしくて、これまでチェキを撮ってくれた人のメンタルはすごいと改めて関心したのを覚えています。

 

 

そこでまた知らない文化に触れる。

 

ついさっきまでステージの上で踊っていた人と会話ができる。

 

その体験はいくら友達であろうと嬉しかったし、応援したいと心から思えました。

 

 

外から見ていたときはなんで?そんなことしていいのかなあ?と思っていた文化が、体験することによってその良さを身をもって感じられた。

 

距離が近いかどうかのブランディングの話だからどっちが良いとかないんだと気づいたわけですね。

 

 

これこそが異文化体験の良さ。

 

友人に誘われなかったらそこに気づくこともできませんでした。

 

 

 

「なんでも知ってるつもりでも、ほんとは知らないことがたーくさんあるんだよ」

 

 

NHKアニメのおでんくんの冒頭で言われるこの言葉。

 

これもきっと知識のことだけじゃなくて、「知る」の先にある感覚も指しているんだと思います。

 

 

まだまだ知らない世界がたくさんあって、どんな文化でも楽しめる人になるにはまだまだ時間がかかりそう。

 

 

あなたは異文化(=あなたにはない当たり前) を、どのくらい受け入れられるでしょうか。