THE東京コンプレックス
「この子は私の親友だよ」って迷いもなく言うもんだから、少し恥ずかしくなった自分が嫌だった。
生まれて22年間ずっと東京で暮らしてきた身として不便なことは何ひとつなかった。家の近くにはコンビニがいくつもあって、電車に乗れば30分もせずに大都会に出られる。
なんでもあった。でも人との繋がりを代償にそれらが光っている。
よさこいで出会った高知県在住の友人が屈託のない笑顔で”親友”を紹介するもんだから、人付き合いの深さに面食らった。
自分は東京とか関係なく友達と深い関係だよって思うかもしれない。
僭越ながら言い返したい。格が違う。
田舎の人の関わり合いは「生活の一部」になっている。
親友だと迷いもなく言える人間の目はあまりにも綺麗すぎた。
東京はいろいろあるから相対的に会話が減る。
東京のせいにしているんじゃない。
その環境でこうなってしまった自分が鬱陶しい。
思えば小さい頃はもっと人間っぽかったと思う。
携帯電話もゲーム機も持っていない。
そんな時は人と関わって遊ぶしかなかった。
でも今は違う。
画面の中で誰とでも知り合えるし、現に自分がこうやって文章をみんなに届けられているのもテクノロジーの恩恵だと思う。
ただその代わりに、僕たちは大事なものを忘れてしまっているかもしれない。
分かっているつもりだけれど、きっとこれは避けられない。
きっと僕は同世代に比べたらそこまで飲まれていない方だと自負している。
それが良いか悪いかは置いておいて、1人で呑みに行って知らないおっさんと話すのが楽しいくらいには古臭い人間だ。
この歳になって、どんどん人が遠くなっていっている感覚がある。
物理的な距離でも心の距離でもなくて、目の前から人がいなくなりそうな感覚。
親友と言葉にするのはちょっぴり恥ずかしい。
もはや高知の人は自分にとって憧れになっていた。
高知だけじゃない。
岩手にあった親父の実家に行った時は、知らない人でもすれ違えば挨拶をしてくれる。嬉しかった。
この感覚を、もっと味わいたい。
今見ている画面から顔をあげて、自分の五感で感じたことの魅力に浸りたい。
よさこいをやっている1番の理由はきっとここにある。
でも気づいた。
せっかくこんな活動を仕事にしようとしているのだから、もっともっと見ていけばいい。そして発信していけばいい。
もっともっとアソビゴコロを持って、「現実世界」で生きたい。
それをあえて、画面を通して発信していこうと思った。
おー、世の中も捨てたもんじゃないな。
これを感じて欲しいためにやるんじゃなくて、そんな人になってみたいからやる。
せめてこの船に乗ってくれた人だけでも同じ気持ちになってもらえるようにすればいい。
なんとなく自分が今後やりたいことの輪郭が見えてきた。
ブロガーと名乗っているけれど、もっともっといろんな事をやってもいい。
やり方は時代に合わせて、時代と逆に進んでみたい。
そんなに甘くないよってのもわかる。
だからこそ楽しいのに、そんな野暮なことを言うのはもったいない。
昔から迷ったらワクワクする方を選んできたから、今回も学ばずに楽しみながらやっていこうと思う。
都会っ子のぼやきでした。