自分を俯瞰している「もう1人の自分がいる」って同志いる?

 

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こんにちは、黒川です。


僕にはなぜか、自分という存在をどこからか見ている「もう1人の自分」がいます。

 

あの、厨二病とかじゃなくて、本当にいるんです。

自分の頭の中にもう1人自分がいて、冷めた人格でずっと自分を見ている感じ。

 

同じような人がいたら、多分黒川と近しい人間様かもしれない!

 

本体の自分のテンションが上がっていてもそれをボーッと見ているというか、常に自分を客観視している自分がいるんですよね。

 

 

冷静な性格とも言えるかもしれないけど、それよりも冷めているというか。

そんなもう1人の自分が本体を見張っているんです。

 

 

きっと、何人か同じ人がいるかも。

 

きっとただの性格なんだろうけど、これについて話したいです。

 

 

熱くなれない


 

もう1人の自分がいるせいで、物事に熱くなれないんですよね。

 

周りが熱くなっているのに、自分だけが少し置いてかれているような感覚。

 

なんか、たまに他の人が羨ましくなる。

物事にそんなに感情的になれるなんて、きっとすごい楽しい。

皮肉とかじゃなく、本当にそう思う。

 

 

もちろん冷めた自分でいられるからこそ賢い判断ができる人もいるんだろうけど(きっとこういう人の方がSNS向いている)

 

それでも感情的になれる人がいて、自分も参加しているのに自分から蚊帳の外にいってしまうような。

 

だから、感情の起伏も少ない。

ありえないくらい感情が動かない。

 

泣けるドラマを観ても、演出の事を考えてしまう。

怒ることよりも、その労力が面倒だから諦める。

 

 

きっと自衛のためなんだろうけど、それでも楽しめない自分がいるから損をした気持ちになってしまう。

 

だから、感情的すぎる人間は疲れてしまう。

正直、なんでそんなに自分をコントロールできないのって思ってしまう自分もいる。

 

こんな事を考えてしまうくらい野暮な人間になっている。

 

 

でももう、これはきっと直らないから、僕たちは「もう1人の自分」との付き合い方を考えていかなければいけない。

 

 

「もう1人の自分」って、自分じゃない


 

「 もう1人の自分」ってのは、実は自分じゃないかもって思ったりもする。

 

つまり、その存在って「感情のストッパー」でしょ?

だからそれは、自分を止めたい誰かなんだ。

 

 

「これをしたら恥ずかしいよ」とか

「こういう人をみて反面教師にしてきたでしょ」

 

って自分の中の自分がいうから、行動する事をためらってしまう。

だったらこれは、もう1人の自分じゃなくて、自分を止めてしまう自なんだ。

 

 

僕は、役に立っていることの方が多い。

失敗することもあるけれど、なるべく冷静な判断ができるから。

感情に任せてなにかすることはない。

 

 

でも、自分を止めてしまう自分のせいで楽しめないことも多い。

 

だったら、その自分をコントロールできるようになったら良いんじゃないか。

そう思います。

 

僕みたいな人は、感情的になることを”恥ずかしい”と思っている。

だから楽しい!とか泣きたい!とかの時に、セーブしてしまう。

 

 

だったら、頭のネジ一個はずすくらいが良いと思っている。

心のどこかで羨ましいなら、自分もそうなってみれば良いじゃん。

 

 

物事を感情だけで判断するのは正しいとは言えないけど、感情表現したい時とは別だからリミッターはぶっ壊した方がいい。

 

と、最近の自分に言い聞かせています。

 

僕の経験上、こういう人は結構多い。

「もう1人の自分」いるよねって話すとすごい勢いで同意をもらえる。

 

だからきっとこのブログを読んでくださっている人の中にも、こういう人がいるんじゃないかなと思う。

 

 

これは偏った意見だけど、感情の起伏が少ない人はきっと心の奥底に感情豊かな人を羨む自分がいると思う。

 

 

これもまた別の「もう1人の自分」だと思って大事にしたらいいんじゃないかなと思う。

 

そうです、ブーメランです。

 

 

「正論」は最善策じゃない


 

 ちょっと話が変わります。

 

 「改善策じゃなくて話を聞いて欲しいだけなの!」

って場面よくあるじゃないですか。

 

ごめんなさい、僕は改善策いってしまうタイプのつまらない人間です。

 

でも自分の人生を振り返ってみると、正論を言っても前に進まないことが多かったです。

 

今も正論が最善策だと信じたい自分と、それでは上手くいかない事実と戦っている自分に今後の人生で悩んでいくと思う。

 

 

きっとこれは自分を殺すことに等しいけれど、それでも人と関わっていくには感情論を理解していかなければいけないんだと思う。

 

肌感だけど、感情で物事を考える人の方が圧倒的に多い。

悪いことじゃなく、それも人のあるべき姿だと思っている。

 

となると、理屈っぽい僕らはマイノリティだ。

だから、マジョリティに合わせて生きていかなければいけない。

 

なにを考えていくべきか。

 

「感情に寄り添って、正論に導く 」

 

これが上手くやっていくコツなんだなと。

難しいけど、これが僕らの役割かもしれないです。

 

 

繰り返すけど、どっちが良いとかではない。

正論が通らずに圧迫されていく冷めた僕らが何かを譲らなきゃいけないんだって感じてきました。

 

こんな時こそ「もう1人の自分」を上手く使っていくべきだ。

 

もう1人の自分は自分本体は見えるけど、相手の感情までは俯瞰しづらい。

 

 

もちろん完璧じゃないけれど、客観視できる自分がいるんだったら、感情を理解してあげられるはず。

 

冷めた自分がいるなら、自分も物事を正誤で考えず、相手のことも俯瞰できた方がきっと人間味のある自分になれるはず。

 

 

「冷めた自分」や「熱くなれない自分」、そして「周りが理解できない自分」に苦しんでいる人と自分に向けたメッセージでした。

 

 

※感情的な人を揶揄する意図はなく、感情的な人をみて自己嫌悪に陥る同志に向けたブログでした。

 

んじゃまた! 

 

kurokawamao.hatenablog.com