「偏見」の無くし方を考えてたら華麗なるパラドックスにハマった件

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こんにちは!

 

もはやブロガーなのかはよく黒川まおです!

 

今日は偏見について考えてみようと思います。

 

ふと、なぜこの世の中から偏見はなくならないんだろうと思い、このブログを書きはじめました。

 

そしたら完全にこの哲学的なものにぶちのめされたので、その過程をご覧ください。

 

 

 

- 偏見ってそもそも何? -

 

なぜ、偏見はなくならないのか。
そもそも偏見という言葉を考えてみるところから始まります。

 

考えてみよう。

正しい言葉の意味と、自分の言葉で説明してみたものを比較してみましょうか。

 

 

辞書で引くと


偏った見方・考え方。ある集団や個人に対して、客観的な根拠なしに抱かれる非好意的な先入観や判断。(weibo辞書より)

 

 

なるほど。
ここにある客観的な根拠とは、たとえば数で表されたりするものか。
ランキングは誰が見たって1位は1位ですな。
客観的根拠=誰が見ても同じ事実ということ。

 

ふむ、ここまではわかった

 

 

僕の言葉で説明してみませう

 

過去の経験や知見によって得られ、自分を正とする考えを中心とした、偏った見方や考え方

 

という感じ。かっこつけんなって思った人は同じ気持ちなので僕と仲良くしてください。

 


ぜひ読んでくださっているあなたも自分の言葉で説明してみてください!

このやり方はけっこう理解深まります!

 

 

辞書で引いた意味よりも、僕の中の意味の方が少し意味が広いですね。
僕の意味には「偏見」というのにはあまりマイナスイメージがないです。

 

 

 

 

 

- 偏見はもっとハードルが低いもの -

 

辞書では「非好意的」とあったけれど、本来の意味はそうでも僕たちが持っている偏見はもっと幅広いと思うのです。

 

そもそも誰が見ても同じ事実ってめちゃめちゃ少ないと思いませんか?

 

 

つまり僕の中では、偏見とは”自分が当たり前だと思っていること”ですかね。

人は偏見によって構成されていると言っても過言ではない。

僕たちが思っている以上に自分とかけ離れている人は沢山いるもんね。

 

偏見は悪いことというよりも、自然とそうなってしまうから仕方ないと思うってのが僕の見解。

 

10年くらい前に学校の先生の授業でこんな問いがありました

 

トイレで青色は男。赤色でスカートのシルエットだったら女。
何でなの???????と。

 

「赤色でスカート履いているから女の子なんだよ」

と誰かが行っていました。

 

そしたら先生は

 

 

なんで???赤とスカートは女って誰が決めたの????おかしくない?????

 

 

(いやあんたが聞いたんだろ優しくしてやれ)

 

 

 

そういう細かいことももしかしたら偏見かもねというメッセージの授業でした。

 

小学校の頃には水色の靴を履いてきた男子が馬鹿にされて問題になったりもしました。

 

 


でも青=男 赤=女 は誰が見ても同じ事実ではないです。

(最近だとmen,womenとかで分けれている所も増えてきましたね)

 

 

 

こんな感じで、僕たちは無意識のうちに偏見を持ってしまっています。

 

 

 

でもこれ自体僕は悪い事だとは思わないんですよね。
自分の常識を変えるのはすごい難しい!!

 

僕らは経験を通して考えを手に入れるから疑うことをしないよなあ。

 

 

でも、ここからが重要です。

 

 

- 偏見が悪に変わる瞬間 -

 

偏見は人に押し付けた瞬間、相手にとっては悪に変わります。

 

これは絶対にしちゃいけない。

 

差別に限った話じゃないけど
無知×正義感×感情論

この掛け算はめっちゃ怖い。もはやマウント。恐るべし。

 

 

人間が作り出した文化や決まりには必ずそれに合わない人が存在します。

学校、仕事、社会、結婚など全てに必ずいます。

 

でもこれに合わないと悪みたいな扱いありますよね。

もちろん違法行為はダメですけど。

 

ただ、それに合わない人間を否定してしまうとそれは多数派の暴力です。

 

これがいわゆる「差別」です。

 

 

(おお、何となく上手い感じに言えたと信じてる)

 

こうなった瞬間に差別する側は悪になってしまいます。

 

でも自分の当たり前からぶっ飛んでいることを説明するのってめっちゃ難しいよねえ、、、

 

 

差別は間違いなく悪ですが、どこまでが差別でどこまでがそうじゃないかはとても難しい問題で、論点がずれてしまうので言及は避けます。

 

 

 

- 偏見を持たないのは不可能 -

 

ここまで考えてみると、偏見を持つなというのは自分の当たり前を持つなということになってしまいます。

 

そりゃーーーーーー厳しい。

だから偏見はなくならないのか。

 

確かに「非行為的」というマイナスイメージを入れなきゃ説明がつかなくなりますね。
それがないと全部が全部偏見になっちゃうもんね。

 

 

 

僕の偏見の説明だと、心の底から全てが何でもよくてどうでもよくて経験も知識も全くない人じゃないと偏見を持たないのは無理です。ということは、無理です。(久しぶり小泉進次郎)

 

差別にならないために偏見の扱い方を気をつけなければいけないですね。

 

 

一般常識は大事でしょって思っても、その常識に当てはまらない人間がいるってこと。
 

 

 

 

とかこんな小難しい話しててもしょうがないので

 

 

 

偏見を持たないのは無理だけど人と共有するときは慎重にいこうぜという話でした。

 

この偏見の考え方すら自分の偏見になってしまうので、結論を出すことは難しいですね。

 

偏見の意味を考えるところから偏見が始まっちゃったので見事なパラドックスにハマってしまいました。

 

しかしまあ考えることが大切ですね。

 

何が言いたかったん?

の質問に関してはこうです。

 

「こっ、これが哲学というもの、、、?完敗」です。

 

 

 

 

でも考えるきっかけにできたらいいなと思ってフランクに発信してみました。

 

難しい問題すぎて頭疲れた。。。

 

んじゃまた!