「過去の栄光」は”お守り”にしています

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自分はこんな功績を残したんだ!と自慢する人がいると、あたかも過去の栄光にすがっていることが悪のように思ってしまうことがある。

 

でも実際になにか功績を残したときは、やっぱり誇らしい。

 

 

別に大したことじゃなくたっていいと思うんです。

小さい頃になんかのコンクールで賞をとったとか、学校で1番足が早かったとか。

 

 

今となっては役に立たないような成功は、自分の価値を表現するのにはきっと向いていないんだろうと思う。

  

 

上司が「俺は若いころはすごいモテたんだぜ」って言っていても、別に今の仕事に関係ないから。

 

 

人に自慢してしまった瞬間に、どんなにすごいことでも劣化してしまう。それどころか、ダサいとさえ思われてしまう時だったある。

 

 

じゃあ今となっては役に立たない過去の栄光は意味がないのか。

 

僕はそうは思いません。

 過去の栄光は「お守り」にしています。

 

 

今までのやっていた事とはまったく別のことに取り組むとき。

最初はうまくいかないのが当たり前。

 

 

でもそんな時にお守りを握りながら「自分はあれを成し遂げたからきっとできる」と。

 

 

そしてそのお守りは決して他の人には見せない。(これ大事)

 

 

迷ったときに記憶から取り出して、願掛けをする。そんなイメージ。

神頼みよりもずっとマシだと思う。

 

 

 

「私には大きいことを成し遂げたことがないから...」って人も大丈夫。

 

お守りはいくつも持つことができるし、もっと大きなことをやれば育てることだってできると思うんです。

 

 

まずは本当に些細な

学生の頃あれだけ頑張ったとか、あのときに人を喜ばせることができたとか、そんな事でいい。

 

まずは小さいお守りを握りしめながら少しずつ挑戦すればいいと思う。

 

 

自分に取り柄がないんだったら人に聞いてみればいい。

「ここが好きだよ」って言ってもらえたら、自分のここを好いてくれた経験が得れる・

 

誰がみても大成功した過去なんかじゃなくてよくて、でもやっぱりスゴイ方がお守りの効力は大きいだろうから、少しづつやっていけばいい。

 

 

過去にすがってしまっている自分をたまに見つけることがある。

本音を言うと恋しくなるときだってあるけれど、別に無理に離さなくてもいい。

 

 

その代わり、それをプライドに変えるんじゃなくて自分の糧にする。

「自分はあれができたんだからきっと大丈夫」

 

 

これで無駄じゃなくなるでしょう。

 

 

 

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この前お恥ずかしながら”自分の良さ”ってなんだろうって思って客観的に知りたくなって、最近コンカフェ時代にいただいたお手紙を読み返してみたんですね。

 

 

その瞬間に、これを表面的に見たら過去にすがっているのか?ってハッとしたんです。

 

でも自分の中で自慢しているものでもないし、知らない人からしたら世間的には大きな成功じゃないわけで。

 

でも確かに元気は出たんですよ。

その時に気づいたんです。

 

あ、これ自分にとっては「お守り」なんだなって。

 

 

宝物って言い方はなんだか格好つけすぎな気もするし、それ以上に自分のガソリンになった感覚があって。

 

これでいいんじゃんって思いました。

 

見せびらかすものでもないし声に発する必要もなくて。

 

自分の過去に固執してしまう人がいるならば、それを逆手にとってやりましょうよって声をかけたい。

 

固執してしまうってことはそれだけあなたに活力を与えられるってことだから。

 

 

せっかくそんな素敵な過去があるのなら自分の凄さの証明に使うんじゃなくて

「自分だったらできるはず」って思うお守りにしていこうって。

 

 

誰かにとやかく言われることもないし自分に発破をかけられるし、いいことしかない。

 

だから、過去の栄光って最高だと思うんです。

 

 

もはや過去にすがるんじゃなくて引き継ぐ。

これは自分が無意識に昔からやっていたことだから文字に起こしてみました。

 

 

んじゃまた!