「どうでもいい」は最強の自衛ツール。「応援」は最強の自己投資ツール。
こんにちは、腰痛ブロガーの黒川まおです。
僕たちには「どうでもいい」が圧倒的に足りていないなと感じます。
色々なことに肩入れし、時間や労力を消耗している。
すごくもったいないと思うんです。
そんな時に「どうでもいい」がすごい役に立つ。
だから、色々な場面で「どうでもいい」を使い分ける考え方を書いていきます。
人間関係での「どうでもいい」
よくこんな会話を耳にする。
「あれはないわ」
「自分大好きアピールしすぎ」
「あの人って八方美人だよね」
これだけじゃなくても、もっと人に対して何か言及している人がいる。
見ていて不快に感じるかも知れないし、気持ちはとてもよくわかります。
でもそれ以上に思うこともある。
「別に迷惑かけられてないし、自分が気に入らないだけじゃない...?」と。
相手の行動・言動とかによって明らかな不利益や害を受けているなら話は別だけど、もっともっと距離をとるべきだと思う。
気に入らない人に時間や労力を消耗して結果的に損をしてしまうのは自分なんだ。
なんなら攻撃したらもっと自分が嫌な状況になってしまうかもしれない。
だから、もっと「どうでもいい」を大事にした方がいい。
じゃあ、人間関係でどういう人が沢山の人に好かれるか。
これは「どうでもいい」がちゃんと確立できている人だと思います。
でもこの場合は、興味がないとか、冷たい意味のどうでもいいじゃない。
「どんなあなたでもいいから受け入れるよ」の略でどうでもいいだ。
さっき出てきた、自分は迷惑をかけられていないのに人の気に入らない所をあーだこーだいう人
これは周りからしたら「嫌われるのが怖い人」になり、信頼なんてあったもんじゃない。
変なこだわりを持っている人の方が周りがずっと楽でいられる。
あなたの周りの寛容な人を想像してみて欲しい。
・全然怒らない人
・いいよいいよーと言ってくれる人
・こだわりが強くない人
きっとその人は、いい意味の「どうでもいい」がちゃんと自分の中で核としてあるから、周りはそれに助けられて好かれるんだと思う。
僕もこれにたくさん救われてきた。
変なこだわりがある人は周りが合わせづらくなってしまうから、結果的に自分が損してしまう。
だからもっと自分のためにどうでもいいって思える力は絶対に自己防衛のカギになるとおもっています。
画面の中の「どうでもいい」
ネットの世界には、自爆テロ犯がめちゃくちゃ多い。それはもうめちゃくちゃ。
画面の中に自分が賛同できない意見が現れると、とにかく特攻する。
どんなに自分が関係なくても迷惑を被っていなくとも、とにかく否定する。
その情報が正か負かなんて吟味しようともしない。
この時の自爆テロ犯の心理はきっと、自衛です。
なぜか皆、審査員席に座った気持ちになっています。
原因は人それぞれだけど、人を審査するのは自分の至らなさから目を背けたがるかららしい。(ソースはどっかの研究)
確かにこれは自衛になっていると思うのです。
教養とリテラシーが足りていない人も見れてしまうのが画面の中の世界ですが、今回はそれを伝えたいんじゃない。
でも、こんな事を伝えたいんじゃないです。
それ、結局自分が損しているよ。
というのが今回のメッセージ。
何かに噛み付いく事なんて簡単だし、自己防衛にはなる。
でも、これをして僕らは何が得られるんだろう。
他人に時間と労力を消耗し、もっとやるべきことに自分から遠ざかっている。
こんなにもったいないことはないと思うんです。
だから僕は、言葉は悪いけどあえて言葉を選ばずに「自爆テロ犯」と表現しました。
そういう意味でも、「どうでもいい」は意識が自分に向くので、ちゃんと自分と向き合う時間が取れる。
どうかどうか、自分のために自分を使ってあげて欲しい。
時間は勝手に過ぎていく中で、変化からは絶対に逃れられない。
簡単に差がついてしまうし、それに気付けた時はもう遅い。
だからもっと「どうでもいい」を大事にして、自分に使う時間を増やす。
これが最強の自衛に繋がるんです。
今の自衛じゃなくて、未来の自衛。
これを読んでくださった方が1人でも自分を守れるようになればいいなと思います。
「応援」は自分のためにしてもいい
それに対して、「応援」が自己投資ってなんで。
人を応援するのは、本当に自分のためにあると思うんです。
人はなぜ普段見ないスポーツでも、日本代表戦は応援をするのか。
それは、応援してその対象が成果を得た時に
自分の喜びに変わるから。それが自分の活力に変わるから。それを期待しているから。
そして代表戦が応援されるのは、沢山の人が一緒に応援しているから。
1人で応援しているわけじゃないから、その喜びを沢山の人と分かち合えるから。
そしてこれら全部が、よし、明日も頑張ろうと思える活力になるから。
こんな最高な自己投資ないですよね。
同じ「人に時間を使う」でも、偉そうに審査員席に座っている人より、応援できる人の方がずっとずっと自分のためになるんです。
どうか周りに一喜一憂せず
見てしまったら「どうでもいい」
いいものは「応援」して自分に活かす
これが今を生きる最強の人間だと思います。
なかなかこれができるほど人間はキレイじゃないけどね。
自分もこの人間の性に向き合っていく事がもっと必要だと思っています。
最後に
映画「えんとつ町のプペル」には、色々な立場のキャラクターが描かれています。
信じて行動し続ける者。
異端者を抑圧する者。
自分が諦めたから否定に回る者。
否定する者に黙って加担する者。
行動する人に手を貸して応援する者。
黙って支え続ける者。
これら登場人物を見て、過去と今の自分がどこに当てはまっているのかを考えさせられる作品でした。
どうなるかは自由だけれど、どうなるべきかの正解はあると思うので、全員が観るべき作品だと思いました。
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
んじゃまた!