集団によくあるクソくだらない「伝統」が大嫌いだった。

 

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小さい頃からいろいろなものに所属して、その度に「伝統」というものにぶつかってきた。

 

伝統は「受け継いてきた大事なもの」として扱われる。

 

その中にはその伝統の良し悪しは関係なかった。

 

 

ルールや規範ではなくて、もっと細かくて小さなところにあるのが伝統。

 

「これは伝統だから」

「先輩が大事にしてきたものだから」

「そうやってやってきたから」

 

そんな思考停止なぶっ飛び理論を持ち出される度に、伝統というものはずいぶん腰が重いなと感じていた。

 

何回も何回も「こっちの方がいいですよね」と言っても、どんなにそれが正しくても「いや、伝統だから」で一蹴される。

 

 

伝統を重んじたい気持ちも深く理解できたけれど、自分にとって伝統はもっと良くできる可能性を捨ててまで、心を殺してまで大事にするものではなかった。

 

 

 

 

やや真面目な集団に身を置いていたとき、とあるスピーチを任された。

自分の成功体験もしくは失敗談を語る場所。

 

人は誰かが苦しんだ話の方が興味が持てると思って後者を選んだ。

そこでは実力に過信しすぎた話やサボって痛い目にあった話なんかをした。

 

発表者はいつも上の人にチェックをされる。

 

でも、修正されて返ってきたものに自分の言葉は一つもなかった。

 

 

「こんにちは。ここには僕を知らない方がたくさんいるかと思います。突然ですが僕は今日、皆様に笑われにきました。そして同時に、今日のスピーチを終えた後に”経験したからこそ伝えられた”と思うためにこの場に立たせていただきました。」

 

スピーチの冒頭文。

いつも同じような話ばかりなので、まずは気を引こうとして考えた導入だった。

 

返ってきた文章はこう。

 

「皆様こんにちは。本日は皆様のお時間を頂戴し、私の経験をお伝えさせていただきます。これは私が大学受験を控えた頃の...」

 

 

発表の日程が近くて代替者を用意できなかったので、”誰かが書いた自分のこと”をまるで自分の言葉のように喋った。

 

肝心な聴衆たちは居眠りをしていたり、逆に熱心な自分をアピールするかのように熱い視線を送ってきたり、聞いているのかどうか分からない人たちばかり。

 

空気を読みすぎてしまう性格のせいか、この場所に自分の経験や伝えたいことに思いを馳せている人は誰1人としていないことが手に取るようにわかった。

 

悔しい。

 

自分の言葉で伝えたかった。

 

それでも自分で書いたあの時の文章はあの場所からしたら”ハズレ者”の言葉たち。

 

 

大学の少人数授業で行われるプレゼンの発表では、スライドを読み上げるだけではつまらないと思い、アニメーションを多用して芸人さんがやるフリップネタのようなものを作った。

 

 

先生からの評価は低い。

 

「学生としてのTPOがわきまえられていない。」

 

それでも聴いてくれた生徒からのフィードバックは満点だった。

 

何が正しいのか分からなくなった。

 

 

「それっぽさ」を演じると、マンネリ化していて伝わらない。

だったら少し崩してでも心に届いた方がいい。

 

でも、そう考える自分を大人たちは許さなかった。

 

彼らが守っているのは伝統だった。

 

もっと簡単に言えば「そういうものだから」で済まされる世界。

 

自己表現などはその範囲内でのみ許されているものだった。

 

 

ものすごく気持ち悪かった。

この大人たちに屈するくらいなら社会不適合者とみられてもいい。

 

 

 

でもある時、考えが変わった。

 

伝統や”そういうもん”を変えられる人間に出会った。

 

思考回路は自分とかなり近い。

言っていることはほとんど同じだった。

 

 

でも、周りの人間の聞き入れる姿勢だけが明らかに違う。

 

死ぬほど考えた。

 

答えは単純で明解なものだった。

 

それは、「何を言うか」ではなく「誰が言うか」だった。

 

 

その人のバックボーンで皆が納得できれば自分のやり方が通る。

 

これに身をもって感じてから、立場にこだわるようになった。

 

 

組織の中では役職を求め、個人としても納得されるような振る舞いを心がけた。

 

それまではやりがいや面白さからやっていたものが、自分と周りにとって最適な手段を選べる立場、ある意味では肩書を「ゲームの装備」のように考えるようになる。

 

 

それからは幹部としての難しさに狼狽することになるけれど、これがやりたかったんだと感動すら覚えた。

 

 

 

でも、もっと上の存在がいた。

 

組織の上には組織がいて、年齢や社会的立場でそれ以上は上にいけない世界だった。

 

またか。

 

 

ある程度は自分たちで決められる。

でも、革新的なものは潰される。

 

そんな僕の行方は「もういいや」だった。

 

楽しいのにそう思えない。

 

あとちょっとなのに最後で潰される。

 

自分も周りもこっちの方がいいとわかり切っているのに、思考停止な大人に潰される。

 

 

わかるよ。大人だって周りからの目を気にしてできないことがあることは。

 

でも、明らかにやってもいいだろと思うこともたくさんあった。

 

そんな僕らは「つまんない」と戦意喪失した。

 

ここを我慢できる人だけが社会に行ける。

 

 

でも自分にとってそれは絶対に譲れないところだった。

 

この冒険心を殺してやっていくなら一生本気で楽しめないと思った。

 

 

 

そしてまた気付く。

 

「はじめから自分でやっちゃえばいいんだ。」

 

このとき、僕は”野良”で生きていくことを決心した。

 

 

この野良というのはフリーランスだけを指す言葉じゃない。

 

「どこにも所属せず、自分が決められることが多い状態を貫いて生きていく」

 

事務所や会社に入るとある程度安定して生きていける。

でも自分にとってそれは「できないことが増える」ことでもあった。

 

 

 

そして「野良」というのは、一匹狼という意味でもない。

 

必要なときに人を集めて、時に力を借りたり貸したりして、いつでも個人に還元される形で集まって動く。

 

”絶対的個人”の集団ならまったく問題がなかった。

 

これを死ぬまで貫いていきたい。

 

 

でもこれをするには何者かになる必要があった。

 

まずは楽しい毎日にする準備を楽しむことにします。