筋肉バカから学ぶ「人と比べない方法」
不意に思った。
マッチョな人ってなんであんなに自分大好きな人が多いんだろう。
人からどう思われているとか一切関係なく、ただただ自己愛強めで筋肉自慢をしている。というかもはやイタいレベルな人もいる(ゴメン)
なぜ彼らはあレほど自分に自信が持てるのだろう。
そんな疑問からこの話ははじまる。
僕がひとつ注目したのは、目標の立てかただ。
スポーツや仕事などは、多くの場合
「あの人を超える」といったことを意識してしまう。
つまり、周りと比較してしまうことがクセになっている。
対してキン肉マンはどうだろうか。
確かに大会になれば「1位になりたい」となるかもしれないけれど
本質は「こういう自分になりたい」と、自分の中だけで目標が簡潔している。
つまり、筋トレ自体には”ライバル”が存在しないわけだ。
そりゃあ達成できたら無条件に自分を肯定してあげられる。
でも多くの人は「あの人に勝ちたい」とか「1番になりたい」と言う。
わからなくもない。けれど、1番になるためのアプローチがそもそも「比較」だから、一生幸せにはなれない。
なぜなら、自分がやっている全てのことにおいて1番になるのは不可能だし、ずっと1番でい続けなければいけなくなるから。
こんな時に、きっとみんなが目にしたことのある筋肉バカを思い出してみよう。
彼らがやっていることをわかりやすく例えると
「Aさんに勝ちたい!Aさんは今100kgのダンベルを持ち上げられるから、自分は110kgを持ち上げられるようになろう!」
じゃなくて
「自分の目標は110kgのダンベルを持ち上げることだ!そしてできるようになった!あれ、気付いたら自分より上だったAさんを超えていたな」
ということ。
他人じゃなく自分の中に目標がある。
比べることによって自分の価値を味わっているのではなく、自分の達成感や成功体験満で足をしているから、後者の方が圧倒的に幸福度が高い。
おお、なんだか筋肉バカの人たちが自分のことが好きな理由がなんとなく分かってきたぞ。
ここから僕らが学ぶこと。
他人と比べることでモチベーションを上げることは確かにレバレッジは効くかもしれない。競争は成長のためにはとても重要だから。
ただ、それに一喜一憂してしまうようなら自分が満足できるラインを設定してそれに向かって頑張ればいい。
とか言っていると、1番じゃなきゃ意味がないって言う人がいる。
もちろんその気持ちもよーーくわかる。
だからこそ、Aさんを超える!じゃなくて
自分自信と戦っていれば気付いたら1番になっているもんなんですよね。
1番のAさんのレベルを知って、「あれが1番のラインね」とわかれば
あとはそれより少し上の目標設定をして自分と戦うだけ。
結局やっていることは一緒なんですけど、自分の心持ちとか終わったあとの肯定感の変化なんかがまるで違うと思います。
自分の中だけで目標設定していれば、たとえ達成できなくても「成長の幅」に喜ぶことができる。比べていたら敗北しか残らない。
マッチョになると容姿がわかりやすく美しくなるから自己愛が強まるってのもあると思うのですが
周りからイタいと思われるほど自分大好きオーラが得出ているのは
目標が自分の中で完結しているからなんだなと思いました。
僕たちは小さい頃から成績とかで比較されてきたから、何をするにも癖づいちゃっているけれど、目標設定くらいは「自分がよければいい」スタンスでいった方が上手な生き方と言えますよね。
それでもあの人よりも上に立ちたい!とか勝ちたい!って思うんだったらそれを続けていけばいいと思います。
どこかで限界がきてボロボロになって終わりです。
1番は1人しかなれないので、常に勝ち続けることは無理です。
それを実感して比べるだけということの難易度と無意味さと幸福度を考えればマッチョと同じ考えに辿りつきます。
(というか自分と戦っていれば気付いたら勝手に1番になっているのはマジです)
筋トレは肯定感が上がるとよく言うけれど、こういうことなのかもしれませんね。
まあ、絶対に筋トレはしないけど()
んじゃまた!